昭和の頃に賑わいをみせた色街が、次々に消えていっている。
時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、あの怪しげな空気が吸えないと思うと、少し寂しい気も…。
私を一晩貸し切ってくれない?
日本三大歓楽街にも数えられる札幌すすきのから歩いて10分ほど。豊平川の近くに「カネマツ会館」と「五条東会館」という、知る人ぞ知る二つの会館がある。
建物内にはかつて5、6軒ほどのスナックが入っていたが、実はそれが通称“連れ出しスナック”と呼ばれる裏風俗だった。
1軒あたり2~3畳ほどの小さなスナックのなかにはママと女のコが2~3人ほど。客は1杯500円のビールを飲みながら品定めし、気に入った女のコがいたら隣のラブホに連れ出せるシステムになっていた。ちなみに連れ出しにかかる料金は、15分1万円ほどだ。
女のコの年齢は意外に幅広く、30代や40代の熟女系がいれば、ビックリするくらい若いコの姿もあった。ただしそれは、この手の連れ出しスナックが身分証なしに働くことができ、手当もその日払いのところが多かったため。つまり、すすきのでは雇ってもらえない、“訳アリ”なコが多数働いていたのだ。
記者は以前、豊平の連れ出しスナックで19歳の女のコと遊んだことがある。
「友達に『ここでバイトしたら、すぐお金になるよ』って言われたから来ただけで、実はお店のこと、よくわかってないんだぁ」
笑顔でそう話す彼女は、店のシステムを無視し、こんな提案をしてきた。
「お兄さん、いい人っぽいからさ、私を一晩貸し切ってくれない?」
「いいけど、いくら?」
「う~ん、一晩10万かな? なんなら友達を呼んで、3Pしてもいいよ?」
明らかに相場を理解してない発言だが、そんな風俗慣れしてない子が多かった。
豊平の連れ出しスナックは数年前、未成年の少女を働かせていたとして一斉摘発され、壊滅に追い込まれた。建物だけは今も残っているが、店のネオンは消えたままになっている。
怪しいネオンが男たちを誘う
戦後間もない頃は関東屈指の青線地帯として知られ、その後も一大風俗街して栄えた横浜の黄金町は、2005年“バイバイ作戦”と名付けられた浄化作戦によって壊滅した。
記者がそんな黄金町を訪れたのは、バイバイ作戦の始まる5年前で2000年頃。すでにその頃、この界隈の風俗嬢は外国人が主流になっており、日本人女性の姿はほとんど見当たらなくなっていた。
しかしそのぶん、街は多国籍街ならではの雑然とした活気にあふれていた。
当時は戦後の青線時代の名残をとどめた小料理屋など、およそ200軒ほどが営業しており、店先にはさまざまな肌の色をした外国人女性が客待ち。通りを歩いていると、次々に
「オニーサン、暇なんでショ。ちょっと寄ってテ」
「ネー、アッタマローヨ」
などとカタコトの日本語で呼び止めてくる。ちなみに女のコは韓国や中国、タイ、フィリピンなどのアジア系が多く、それ以外ではコロンビアなどの中南米がチラホラという感じ。そのなかには、なぜかセーラー服を着たタイの女性もいたが、どんな意図があってそんなコスプレをしていたのかは謎。おそらく本人もわかっていなかっただろう。
女のコのなかにお気に入りが見つかれば、各店の2階にある小さな部屋で一発いたす、というシステム。料金は20分~30分で1万円ほどだが、売れ残ったコに直接交渉すれば8000円くらいに値切れた。
現在は消えたネオンの代わりに、芸術家の招聘に力を入れる黄金町。アートの街として再生を図っている。
旅館の扉を開けて「女のコいる?」
福岡県の久留米市には、ごく普通の民家のなかになにやら怪しげな旅館が点在する地域がある。
戦前戦中、このあたりに陸軍の駐屯地があり、もともと旅館は兵隊さんの家族が利用するための宿泊施設として建てられたという。そして戦後、そうした旅館が生き残るための手段として近くの遊郭と合体して、新たに誕生したのがこの怪しげな旅館の正体。民家のなかに点在する一風変わった裏風俗として愛され続けている。と言っても、現存する旅館は1、2軒のみ。もはや風前の灯と言えるだろう。
遊び方は、旅館の扉を開いて、ヤリ手バアア風のおばあちゃんに「女のコいる?」と尋ねなければならないという、常連以外には少々ハードルの高いシステム。記者が遊んだ際は、
「20代のコがいるよ」
と言われて、中央に煎餅布団が敷かれた小さな部屋に通された。そしてシャワーを浴びながら待っていると、確かに20代半ばくらいの女のコが登場。この手の風俗は20代と聞いて40代が出てくることがザラにあるため、少し意外である。
「昼間は私一人だけど、夜になると他の女のコも何人か出勤してくるよ」
と彼女。賑わっているとは言い難いが、それなりに客は入っているようだ。料金は20分8000円。
こんな所にこんな美女が 消えた男の社交場
沖縄県の真栄原には、通称・新町と呼ばれる歓楽街があった。東京の吉原と同じくらいに誕生したと言われる歴史あるこの色街は、古くから日本人相手の商売で賑わってきたそうで、システムこそ黄金町と同じだが、在籍する女のコは日本人ばかり。しかも可愛いコが多いと評判になっていた。
記者が真栄原を訪れたのは、10年ほど前のこと。やたらネオンが眩しい通りで女のコを物色していたところ、一人と目があった。今でいう女優の有村架純似の美女で、東京の人気風俗店でもなかなかお目にかかれないレベルである。惹かれるようにその店に入った。
通されたのは、中央にベッドが置かれただけの3畳ほどの薄暗い部屋。シャワーなんて洒落たものはなく、やがてさっきの女のコが小脇に桶を抱えて、部屋に入ってきた。どうやらこれでチ●コを洗うことになっているようだ。
「前は飛田新地で働いてたけど、いろいろあって…」
この手の裏風俗のコはあまり自分のことを話したがらないものだが、彼女もなにやら訳アリの様子。しかし愛想は悪くなく、楽しい時間を過ごすことができた。料金はショートが15分5000円で、ロングが30分1万円だったが、その価値は十分あったと言える。
もっともコトを終えると、
「次があるから出てって」
と、突然の塩対応。結局、追い立てられるように店を出ることとなった。
そして真栄原の歓楽街は、2012年の浄化作戦によって壊滅。現在は駐車場があるだけで、かつてのような色街としての賑わいはどこにも見られない。