普通の喫茶店が突然ノーパン喫茶に
1980年代初頭、ノーパン喫茶という新種の風俗が大ブームを巻き起こしました。当時の常識をさまざまな意味でぶち壊したこの風俗、改めて振り返ります。
短期間で増殖した新風俗!
1970年代終わりから1980年代初めにかけて、日本でまったく新しい風俗が大ブームとなりました。ミニスカートの下には何も履いていないウエイトレスの女の子が接客する『ノーパン喫茶』であります。
ノーパン喫茶の起源には諸説あり、京都の西賀茂にあった『ジャーニー』とする説のほか、大阪説、福岡説、東京説があります。このあたりの意見がわかれるのは、当時、短期間のうちに日本全国でノーパン喫茶店がすさまじい勢いで増えていったなによりの証左とも言えるでしょう。話題になった次の日には新しいノーパン喫茶店が誕生して、もう訳がわかんなくなっちゃったってことですね。
他店にないサービスで人気を博した大阪の『あべのスキャンダル』。ガラス張りの店舗も特徴でした
大事な箇所はパンスト防御
全国で急速にノーパン喫茶店が増えていったのには、開店までの手軽さにも理由があります。なにしろ普通の喫茶店のウエイトレスがパンツを脱げば、それだけで『ノーパン喫茶』を名乗れて、大量の客が押し寄せてきます。今のような風営法上の面倒な手続きも必要ありません。実際、ごく普通の喫茶店がある日突然ノーパン喫茶に鞍替えすることも珍しくなかったんだとか。古き良き時代ですね。
で、こうして起こったのが1980年の第1次ノーパン喫茶ブーム。誕生からたった数年で、ノーパン喫茶の数は全国で1000店舗近くにまで増えていたというからハンパありません。
もっともこの頃のノーパン喫茶は、ノーパンを謳いながら実際はそうでない店がほとんどだったようです。当時を知る風俗ライターの裏筋欣也さんは、次のように話してくれました。
「ノーパン喫茶が話題になり始めた当初は、現在多くの人がイメージするほど過激ではなかったんです。ほとんどの店のウエイトレスはパンストを履いていたので、ノーパンではあってもオマ●コがはっきり見えるわけではなかったし、当然お触りもNGでしたからね。ただ、それでも当時としては十分に衝撃的。なんとかパンスト越しにオマ●コを見てやろうと、落としたおしぼりを拾うフリをする客や、こっそり手鏡を持ち込む客が続出しました」
他にもオマ●コを覗きたいと思うがあまり、コーヒーを飲みながらずるずると身体を滑らせて低い姿勢になっていく客も多かったそうです。なんだかほのぼのとしたエピソードですね。
しかし店が増えれば、競争も激しくなります。そのためノーパン喫茶の各店は競い合うようにしてサービスを過激化させ、やがてパンストなしの文字通りのノーパンを見せる店が当たり前になっていきました。
『あべのスキャンダル』は後にノーパンのラーメン店や牛丼店を開店
ノーパン魂を後継した店も
一方、サービスが過激化の一途をたどると、それまでノーパン喫茶を黙認していた警察も動かざるを得なくなります。そして1981年には、ノーパン喫茶が初めて摘発。さらにこの頃になると、ノーパン姿のウエイトレスを見せるだけというサービスが飽きられるようになり、ブームも沈静化。1982年になると、店舗数は最盛期の18分の1にまで減少したと言います。
そんななか、独自のサービスを打ち出すことで高い人気を保ち続けたノーパン喫茶もありました。その代表格が1980年にオープンした大阪の『あべのスキャンダル』です。
「多くの店が過激化を図るなか、パンストの代わりにウエイトレスのオマ●コに前貼りをつける店が増えていきましたが、『あべのスキャンダル』が採用したのはなんとスジ貼り。細い布でスジだけ隠して、ハミ出た毛はすべて剃るというギリギリの見せ方で人気を博しました。しかもこの店は1階と2階がガラス張りになっていて、真下からスジ貼りで隠したオマ●コを眺めることができるんです。もうドキドキモノですよ(笑)。
また、この店は独自イベントを次々に企画したのも大きな特徴。白黒ショーや泥んこプロレスを見せ、『ここに来れば面白いイベントをやっている』というイメージを定着させていったんです」(前出・裏筋氏)
ちなみに『あべのスキャンダル』はその後も大阪の店ならではの企画を次々に打ち出し、ノーパン喫茶が絶滅した後もやがて大きな話題を集めることになるトップレス牛丼屋『乳の屋』などを出店。ノーパン魂を後世に伝えていきました。
そして1983年になると、沈静化したはずのノーパン喫茶ブームが再熱します。この第2次ノーパン喫茶ブームを巻き起こしたのは、歌舞伎町のノーパン喫茶『USA』に在籍したイヴちゃんであります。
イヴちゃんの魅力は何と言ってもそのルックス。テレビ番組『トゥナイト』や風俗雑誌で紹介されると、その美貌の女の子のノーパン姿を一目見ようと客が押し寄せ、連日長蛇の列を作ったそうです。
「今で言う『会いに行けるアイドル』の走りで、絶大な人気を誇っていましたね。また、この頃のノーパン喫茶の主流は、個室で抜きのサービスが受けられる店。ただ、イヴちゃんは抜きはやってなかったそうですけどね」
しかし1984年に改正風営法が施行されると、従来のノーパン喫茶が営業できなくなります。多くはファッションヘルスとなり、ノーパン喫茶はその短い歴史に幕を下ろしたのです。