闇風俗店としてのピンサロは現代を生き残ることはできるのか?

特集

庶民の味方ピンサロ

歓楽街に行けばそこにあり、時には商店街にもある。
お気楽にヌケる庶民の風俗「ピンサロ」は、いつからあって、いつまでそこにあり続けるのか?

おブスの店から稼げる美女の店へ

 大塚に五反田、高円寺に小岩と、都内にピンサロ街は少なくないが、都内一=日本一のデリヘル街と言われる池袋の某有名ピンサロに潜入取材に行ったことがある。そこで、筆者のピンサロの概念がくつがえされたのだ。
 それまでは、ピンサロ=「あんまり若くもカワイクもない女のコが、手と口でヌク店」程度にしか思っていなかったのだが、その店で接客してくれたのは、3回転のうち1人だけポチャがいたが、2人はスラッとしたモデル系の美女で、2人共に筆者の好きなパイパンちゃん。おまけに、手と口だけじゃなく、対面座位で素股までしてイカせてくれたのだった。
 そして半年前、「小作」という福生の西にある小さな飲み屋街にある隠れたピンサロに行った時は、結婚前の竹内結子みたいな美女が、指入れさせてくれながら生フェラから口内発射させてくれたのだ。
「ピンサロに美女が増えている!!」
 そう思い始めたのは、2年ほど前、都内のデリヘルが飽和状態となり、カワイイのにお茶を引く女のコが、デリヘルより安定して稼げるピンサロへ大量に移動し始めた時期と重なっている。
 安かろう悪かろうだったデリヘルが淘汰された今、ひそかに人気を集めているのは、5000円程度で手軽に発射できるピンサロかもしれない。

高度成長期と共にピンク産業も成長

 庶民の味方・ピンサロ発祥の説は大きく分けてふたつある。1950年大阪発祥という説と、1960年誕生というもので、約10年という大きな隔たりがある。そのあたりを、風俗研究家の多々野平助氏はこう語る。
「1950年、大阪・千日前にあった歌舞伎座5階に、『ユメノクニ』というアルサロ(アルバイトサロン)が開店しました。この店がアルサロの発祥ではありますが、発案者であり支配人でもあった磯田敏夫氏によると、この店は今で言うキャバクラ的な飲み屋だとしています。50年説はこの店を最初の店としていますが、ピンサロの発祥はここより後ということでしょう。
 磯田氏はまた作家でもあり、絶妙なキャッチフレーズの中刷り広告が評判となり、店も繁盛したと言われています。ちなみに『アルサロ』は、昼間は会社員として働く女性が、就業後のアルバイトとして働く店なので、顔バレ防止のために店内の照明を暗くしていたようです。照明が暗いのは今のピンサロも同様ですが、その理由は、女のコの顔バレというよりは、客同士の視線が合わない様にだとか、女のコのブサイク度がバレないようにする方がまだまだ大きいのではないのでしょうか」
 以下は筆者の想像だが、『ユメノクニ』開店からほどなくして、同様のアルサロが大阪中のあちこちに開店していった。その中には、より過激なサービスをする店があらわれ、おしゃべりからおさわりへ。おさわりから手コキへ。やがて1960年代にさしかかるころにはポツポツと、口でヌク店が登場するようになった、というところではないだろうか。
 そして、その頃には「ピンクキャバレー」や「ネグリジェサロン」など、新しい形態や呼称も現れ、アルバイトサロンからピンクキャバレーへと、サービスも呼称も変わっていった。
「現在と同様の『ピンクサロン』という呼称が初めて登場したのは、1968年、上野(浅草説もあり)に開店した『ハワイ』が初と言われています」(同・多々野氏)
 そして、戦後の高度成長期の集大成とも言える、大阪万博が開催された1970年代に入ると、それまでのプロ風俗嬢とは違う、素人女性がピンサロに多数流入し始めた。そのおかげでピンサロは急速に拡大し、第一次ピンサロ時代を築いていったのだ。

生き残りをかけた新たな風俗の時代

 大阪から始まったピンサロブームは東京にも移ってきていた。ピンサロブログを配信するY氏(50歳)は、70年代以降の東京のピンサロ事情をこう語る。
「1968年に『ハワイ』が誕生して数年後には吉祥寺に本サロができていました。その頃にはぼったくり店も増えていたせいか、75年頃からピンサロへの摘発が急増したんです。それに加えて、ニュー風俗が登場する80年頃には、そちらに人気を奪われて、ピンサロ人気は下火となってしまいました。
 この頃ピンサロは、ピンサロか本サロか、2つの道を選択する岐路に立たされていたんです。ピンサロの道を選んだ店は、『花びら回転』や『口内発射』という新たな秘策を取り入れ、本サロの道を選んだ店は、後のNK流等へと繋がっていきました」
 そして、1990年以降にはニュー風俗がさらに多様化し、単にヌクだけでなく、性的嗜好を満足させてくれる店を選ぶ時代に突入していった。固定ファンをつかんではいたももの、往時ほどの人気を得ることはできずにいたピンサロに再び注目が集まったのが2007年のリーマンショック後だった。
「景気が悪化する中で、デリヘルだとプレイ料金とホテル代で2万円もかかってしまうのに、ピンサロなら5000円で済む。しかも、花びら回転なら複数の女のコと対戦できる。そしてこの頃には店の分派も進んでいました。
 例えば、最大手は『フラ系』と呼ばれる『川崎フラミンゴ』の系列店で、その対抗馬が、実は同系列でありながらも『レモン系』と呼ばれる店です。どちらも大きな違いはありません。好みの問題でしょうか(笑)」(Y氏)
 そして筆者はこの先、ピンサロに対して大きな危惧を抱いている。2020年を控え、過去の事例で考えてみると、国際イベント前に摘発されやすいのは、〝ハデな看板を出している違法風俗店〟だった。その基準に当てはまるのがピンサロなのだ。オリンピックイヤーを前に、ニッポン風俗の大きなレジェンドが消えることのないよう願いたい。

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